予告(のようなもの)
拙作「そして僕はレシピを手にする」へのniceとコメントありがとうございました。
あたたかいコメントにとても励まされました。心から感謝いたします。
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実はですね。また書いてしまいました。
その分量が…もじもじ…またブログ掲載にはヘヴイな…
短編小説くらいの長さです。書き上げると偶然にも前作とほぼ同じ分量でした。
ここまで書いてきて…はたしてこれは予告か、と思ったのです。
分量だけを報告するのが…予告と言えるのか?
映画館のホールが暗くなり本編上映前の予告が始まった。
『「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」「ダージリン急行」の
奇才ウェス・アンダーソン監督最新作
「グランド・ブダペスト・ホテル」2014年6月公開!
上映時間:100分』
上映時間の情報だけで果たしてそれは予告か?
ボクは会社の近くにある食堂で日替わりランチのサバ味噌煮定食を食べ終えた。
明日の昼食もここに来ようかな…どうする?
顔なじみの女主人にボクは聞いた。
「おばちゃん。明日の日替わりランチは何?」
「総量で380g!」
この場合、分量は明らかに予告として機能していない。
しかし。内容を告げる予告が果たしてほんとうに良いのか?疑問も残る。
ボクの家に鶏がいるとしよう(実際に家にいるのはオスのサバトラ猫だが)。
彼は毎朝、1日の始まりを予告するように鳴く。
しかし、これからどのような1日になるのかは話さない。
もし彼が話すとしたら…どうだろう…。
「いいか、心を落ちつけるんだ。
これから始まる君の1日はかなりハードだ。
駅構内を歩いているとiPhoneにメールが届くことになる。
覚悟したほうがいい、心が折れるだけじゃすまいかもしれない」
朝からこんな話は聞きたくない。
「さっ。起きろ。今日はいつもより20分早く会社に着くんだ。
今年最大の幸福が君を待っている。おめでとう!
相手は『驚かせてごめんなさい』と言うだろう。でも君は驚かない。
だって今知ったから。そう君はノー・サプライズだ」
嬉しいかもしれないが心は踊らない。
今回も分量だけの予告(のようなもの)とさせて頂きます。
前作と殆ど同じで短編小説くらいの分量です。
お時間に余裕のあるときに読んで頂ければ幸いです。
また今回もタイトルが未決です。
「脳を揉む」時間を数日頂戴いたしたいと思います。