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からす と うずら


7月も半ばを過ぎて暑い日が続いていた。
エアコンの効きが悪い車内は蒸し風呂のようだ。2人の男はクーラーボックスから出した
ペットボトルの水を飲むと、水と一緒に冷やしておいた目薬をさした。
少し頭がスッキリした。
夏の盛りの青空には積雲がいくつも浮かんでいた。
不機嫌な菓子職人がつくったいびつなシュークリームのような雲だ。
そんな青空の下をまっすぐ伸びる片側1車線の田舎道。
埃を巻き上げ白いフィアットの箱型バンが走っていた。
かれこれ2時間すれ違う車はなかった。


「おい知ってるか?」助手席の男が運転席の男に声をかけた。

「何を・・・」ハンドルを握り運転している男は気のない声をだした。

「北極でさ。白熊が地軸の傾きを調節しているって話」

「知らない」

「聞きたい?」

「話したい?」

助手席の大柄な男はうずら。運転している小柄な男はからす。2人とも40才だ。
うずらはラジオの音量をしぼり咳払いすると…からすへ話し始めた。

「あのさ。北極点には黒くて太い棒が突き刺さってるんだ・・・。
 そう、勿論これが地軸だ。
 この地軸をさ一定の傾きに調節してるのが、北極点地軸隊の白熊たちなんだ」

「・・・・・」

「硬い鋼のワイアを地軸に巻きつけてウインチで巻き上げるんだ。
 白熊が物凄い腕力でワイアを巻き上げる。ギリ・ギリ・ギリって…。
 そうして地軸の傾きを調整するんだ」

「・・・・・」からすはハンドルを軽く右に傾け前を走る自転車を迂回して追い越した。

うずらはラジオを消した。「おい。聞いてるのに!」からすはうずらの行為に異議を唱え
た。からすはラジオのスイッチへ手を伸ばした。うずらはからすの手を自分の手で遮り、
顔を横に振った。「オレの話を聞けよ」うずらはからすの異議を認めなかった。

「ポーラスターズの連中は・・」

「なんだよ。ポーラスターズって?」

「ポーラスターズは白熊北極点地軸隊のチーム名だ。
 80匹の精鋭で編成されたチームだ」

「いいか。オマエのその話が事実だとしてさ。
 そのポーラ白熊隊はどうして地軸の傾きを調節しているわけ?」

ふんっと鼻息を出すかわりに「フンッ」とうずらは声に出した。

「どうして地軸の傾きを調節するかだって・・・決まってるだろ!」

「オマエが『決まってるだろ』と言うときはな、大抵の物事はなにも決まっちゃいない」

からすは太陽がまぶしいのでサンバイザーを降ろしサングラスをかけた。

「いいか。彼らが地軸を引っ張って傾けなかったら地軸は真っ直ぐになってしまうんだ。
 ワイアで引っ張って杭に縛り付けとかないと、ぴょんっと真っ直ぐになるんだ」

からすは「はあ?」と声をあげ「なんだよ。ぴょんっと真っ直ぐって・・」と言うとギア
を3速から2速へ落とし角を左へ曲がった。

「いいか。地軸が傾いてなかったら夏も冬もないんだぞ。
 季節がなくなるんだぞ。オマエそれでいいのか!」

「『この素晴らしき世界(What a Wonderful World)』…彩りと多様性に溢れる地球に
 なったのは季節があるからだ・・か?」

「そう。ワンダフルだ。色彩も音も季節があるから豊かになったんだろ。
 地軸が傾くと地球にワンダフルが起きるんだ」

「じゃあ何か…美しい季節をつくるために地球が白熊に頼んだのか?
 『なあ。地軸をそっちへ引っ張って傾けてくれ』って」

「あるいは。地球が白熊に言ったのかもしれない。
 『真っ直ぐでいるより、ちょっと傾いてるほうが楽なんだ』・・」


白いフィアットのバンは岩手県一関市内に入った。
東京を出てから3日目。Nシステム(自動車ナンバー読み取り装置)カメラが設置されて
いる高速道路や主要国道を避けて走っていた。


***


江東区木場の貸倉庫の前に車が2台止まっていた。黒いトヨタのワゴンから男が1人出て
きた。男はカウボーイのような帽子を被っていた。もう1台の白いフィアットのバンから
出てきたのは2人の男だった。2人に向かって帽子の男が言った。

「オマエら2人が運び屋か?」

「履歴書を持って来たけどみせようか?」からすが無表情のまま言った。

「・・・・・」

「荷物を出してそっちの台の上に置いてくれ」うずらは言うと、口にガムを入れ男がワゴ
ンから大ぶりの木箱を運び出すのを眺めた。木箱を置いた台の上部にはカメラ装置が付い
ていた。
帽子の男は怪訝な顔をして「この機械はなんだ?」と言った。

「空港で荷物検査に使っているX線スキャン装置があるだろ、あれと原理は同じだ」
からすが言うと、うずらは機械を操作して木箱をスキャンした。

「どうして、こんなことをする?」帽子の男が言った。

「火気厳禁」からすが言った「オレたちのルールだ」

「勝手に燃えたり爆発したりするものはお断りなんだ」うずらがニッコリ笑った。

「だけど箱を開けて中はみない。オレたちは運ぶだけだ。荷物がなんなのかは知りたくも
 ないし関わりたくないんだ」からすが無表情のまま言った。

からすが男から受け取った紙には青森市内の住所と貸倉庫の番号が書かれていた。

「1週間はかかる」からすが口元をゆるめて言った「急ぐと目立つんだ。マラソンでも
 速い選手のほうが目立つだろ・・」

うずらがまたニッコリ笑って続けた「旅はのんびり行くほうが楽しい」うずらは口笛を吹
いた。レディオ・ヘッドの曲だった。口笛を止めるとうずらが言った。

「オレたちはクリープだ。曲がりながらそっと移動する」

帽子の男はそれには答えず、煙草をくわえライターで火をつけようとした。
からすとうずらが声を揃えた。

「火気厳禁!」


【運び屋】盗品・麻薬・密輸品などを運搬する役の者(国語辞典より)
からすとうずら2人の仕事も大筋では国語辞典に載っている【運び屋】とほぼ同じだ。
但し麻薬・密輸品の類で2人に依頼する人間は滅多にいない。料金が高すぎで赤字になる
からだ。そう彼らの料金は高い、しかも完全前払い、それでも多くはないが依頼主はいる。
どうしてか?物流は多くの場合、差出人の履歴が残る。それはリアルな物だけじゃない。
ファイルをネットで送信すると・・・勿論ネットにも履歴は残る。その「履歴は残る」を
嫌う人間が世の中にはいる・・だから2人のビジネスはなりたつ、ということだ。
実際過去にはUSBファイルだけの運搬や手紙だけの運搬を依頼されたこともある。
料金が高額だって差出人の履歴を残さず運びたい荷物を抱えてる連中がいるってことだ。
2人はX線スキャンで荷物を検査し、それがルール違反のものなら引き受けない。
スキャンするまでもなく「人を運んでくれ」は引き受けない。スキャンした荷物の中身が
「動かない人」だったら絶対に引き受けない。
もっともコーヒー・スプーン3杯ほどの倫理観しか持ち合わせない2人が断った荷物は
過去に5件だけだ。良心はないが好奇心ならたっぷりある。
それに2人は・・・旅が好きだった。


3人の男達が持ってきた木箱をX線スキャンした画像がモニタに表示された。
筒状の巻物だった。カーペット?
うずらが独りごちた。巻物とか・・?

「忍者が口にくわえるには大きすぎるよな・・・」


* **


一関市内のホテルの部屋に入ったのは辺りが暗くなり始めた頃だ。
荷物とスーパーマーケットのレジ袋を部屋に置くと2人は交互にシャワーを浴びた。
シンプルと殺風景の間に存在するような部屋だった。
長身のうずらが椅子の上に立ち天井の火災感知器を食品用のラップフィルムで覆った。
そこへ冷却スプレーを吹き付けた。これで感知器は煙と温度上昇に反応しないはずだ。
からすは窓を開けると鞄から出した物を次々とライティングテーブルへ置いた。
卓上IHクッキングヒーター、まな板、包丁・・。それからレジ袋から買ってきた食材を
取り出してベッドの上に並べた。
からすはフライパンでオリーブオイルを温め、粗く切った玉葱とニンニクを入れ炒めた。
そのフライパンへ大ぶりの腸詰めソーセージを3本入れ軽く炒めた。さらに続けてフライ
パンへ生米を洗わないまま入れ、米に焦げ目がつくように炒めた。そして、お湯で溶いた
固形ブイヨンのスープを入れ、ざく切りにしたキャベツで全体を覆いフライパンに蓋をし
て中火にセットした。
約15分炊いてから5分蒸らせばポルトガル風炊き込みご飯の出来上がりだ。
部屋は香ばしい幸福で満ちた。2人はフライパンから自分の皿に取り分け食べた。
オリーブオイルで炒めた玉葱・ニンニクから出た風味、腸詰めソーセージから出た塩けと
脂、そしてブイヨンスープ、すべてが米にからまり染み込み美味しく炊き上がっていた。
表面に焦げ目がついたご飯は場所によって少し芯が残っていたが、噛むとしみ込んだ食材
の香りが口に広がり思わず笑顔になる。キャベツの甘味と歯応えも心地よかった。
スーパーマーケットで買ったチリの赤ワインも美味かった。
量感豊かな炊き込みご飯には、すこし重めのカベルネ・ソーヴィニヨンがよく合った。
全部食べ終えると…うずらが叫んだ。

「美味い!」

「『美味い』はさ、普通は全部食べ終わる前に言わないか」


テレビにはサッカーの国際試合が映っていた…メキシコ対チリ。
うずらはラムをトマトジュースで割りそこへタバスコを大量に入れ飲みはじめた。
からすは赤ワインを飲み続けていた。

「どうしてそんなに真っ赤で辛いものを飲む?」

「だってメキシコ対チリだろ。激辛対決だぜ」

「南米チリの国名のチリは唐辛子じゃないぞ」

「えっ。そうなの?うん。たしかに国の名前が唐辛子ってのはちょっとだな・・
 うんチリは唐辛子じゃないのかもしれないな」

「かもしれないじゃない。絶対違うに決まってる」

「『決まってる』と言うときは、大抵の物事はなにも決まっちゃいない」

「・・・・・」


「あれはなんだったんだ?」いきなりうずらが言い出した。
2人は同じ高校のサッカー部だった。うずらが言ったのは最後の地区大会2回戦のプレー
のことだ。1対0と相手にリードされた後半38分。相手ゴール前まで攻め上がったときの
ことだ。うずらは2トップのフォワードの1人、からすは2トップの下のミッドフィルダ
ー3人の1人だった。その時、からすは足下でボール動かしながらパスの出し所を探して
いた。

「オレは相手ゴール前でデフェンダー4人のうち3人を引き付けていた。もう1人のフォ
 ワードの周囲にはスペースが空いていた。なのにオマエはオレにパスをよこした」

「アイツには決定力がなかった。そしてオレにはオマエの窮屈な足元へパスを収める自信
 があった」

「パスを受けて前を向けてもシュートまでもってくのは難しかったぞ」

「それでも・・相手デフェンダーの足下へのファウルは誘えると思ったんだ。
 そうすりゃゴール前でオレのフリーキックだ」

「じゃあなにか。自分のフリーキックのお膳立てにオレにパスを出したと。
 そしてオレの足が削られファウルをもらえばいいと、考えたと」

「オレと同じ小柄な・・バルサのシャビも言っていた。
 『サッカーは身体でやるんじゃない、頭でやるんだ』」

「オレの足のことも少しはいたわれ!」

「後半オレたちのチームは足が止まっていた。あとはセットプレーしかないだろ?」

「そしてあのときオマエの思惑通り相手デフェンダーはオレの足をタックルで削ってきた。
 あれは明らかにファウルだ。なのに審判は笛を吹かなかった」

「いいか。オレは見ていた。審判は笛を口にくわえたんだ。
 それなのに、どうして吹かなかった?
 オマエが倒れなかったからだ」

「あのな。かなり痛かったさ、けどな倒れるより先にシュートが打ちたかったんだ」

「試合の後に病院へ行ったら骨にヒビが入ってたんだぞ。
 骨折して倒れないってどんな足してるんだよ」

「オマエの作戦がいけないんだろ。結局ファウルはとれなかった」

「オマエがあんなに丈夫だってのが想定外だった。
 そりゃ…いつもオマエの口癖は『大丈夫!』だった。
 けどな。骨にヒビが入っても大丈夫なヤツだとは思わなかったよ」


サッカー中継が終わるとテレビを消して音楽をかけることにした。
からすはiPodを鞄から出した卓上小型スピーカーに接続した。
流れてきたのはローリング・ストーンズだった。
3曲目に流れてきたのは「ルビー・チューズディ」。ピアノ、リコーダー、チェロ、ドラ
ムスで構成されたミディアム・テンポのバラードだ。ブライアン・ジョーンズの吹くリコ
ーダーが幻想的で、ミック・ジャガーのボーカルは物憂げだ。
うずらが口を開いた。

「ルビー・チューズディってさ・・なんだろ?」

「曲にでてくれる『彼女』のニックネームだろ・・」

「宝石のルビーと火曜日…どんな意味なんだろ?」

「曲のなかで『誰がつけたんだい?』って聞いてるけど、彼女は答えない。
 どんな意味かは曲のなかでは触れていない」


『彼女はどこからやって来たのか言わない
 昨日はもう過ぎてしまったことだ、どうだっていい
 太陽が輝いてる間、もしくは暗闇の夜に
 彼女はやって来て、そして去って行くのを 
 誰も知らない
 さよなら ルビー・チューズディ
 だれが君にその名前をつけたんだい?
 君が毎日毎日変化していくたび
 そのたびに僕は君が恋しくなる』


曲が終わるとうずらがからすに言った。
あるいは、うずらは自分に向かい言ったのかもしれない。

「苺は・・どうしているんだろ?」

「・・・・・」


* **


5年前まで、からすとうずら2人は東京都町田市でバーを営業していた。
8席のカウンターと4人掛けのテーブル席が1つの小さなバーだった。
からすが料理担当(とても簡単な料理だけだが…)、うずらが接客担当(出鱈目な話を客
に話しかけるだけだが…)だった。
常連客が持ち込む厄介事への好奇心が抑えられないときや客への義理があるとき、2人は
臨時で探偵や便利屋のまねごともやっていた。


6年前の蒸し暑い8月の夜、バーに30代前半の女がやって来てカウンター席に座った。
一重まぶたの細い目が笑うと猫が目を瞑ったようになる愛嬌のある女だった。
頬から顎へのラインがシャープな女だった。長い黒髪を無造作にまとめアップして後頭部
にできた「髪の団子」にガラス細工が付いた木製のかんざしを刺していた。
身長はからすとほぼ同じ。女としては背が高いほうだ。
彼女がカウンター席に座るのが3度目になったとき、珍しくからすから話しかけた。

「君のことを『お客さん』以外で呼ぶときはなんて言えばいいのかな?」

「苺」

「いちご・・?」

「名前がね・・苺」

「変わった名前だねって言ってもいいのかな・・」

「そっちこそ。からすクン、うずらクンでしょ。もっと変わってるじゃない」

「オレたちは名前じゃなくて名字だからさ…そんなに変じゃないだろ」

「本気で言ってる?」


それから苺は毎週2人のバーにやって来るようになった。
好んで飲むのはルビー色のデリケートなピノ・ノワール、そしてやって来るのは決まって
火曜の夜だった。さらには。予想どおり苺はローリング・ストーンズが好きだった。
からすは誰にも(勿論うずらにも)言わなかったが、こう思っていた。

『彼女はどこからやって来たのか言わない
 こんにちは ルビー・チューズディ
 君にその名前をつけたのは この僕さ』


苺とからす、うずらはすぐに打ち解けた。
苺との会話は楽しかった。そして時に刺激的だった。
良い料理は箸で食べても、スプーンで食べても美味しい。朝食べても夜食べても美味
しい。そして同様に良い音楽はいつどこで聴いても心に伝わる。
苺との会話はまさしく美味しい料理や良い音楽のように楽しく時に刺激的だった。
あるいは冷蔵庫でほどよく冷やした目薬のように2人をリフレッシュした。


苺、からす、うずら…3人は親愛で結ばれ、親愛のパスを交換した。
しかし時が経つにつれ。
苺とからすの2人は船底から親愛のバラストを海へいくつも放り投げ捨てた。
喫水線が下降し波の上に現れた鋼の船体には大きな文字で『Intimacy(親密)』とペイン
トされていた。
2人は外でも逢うようになった。歩いたり(もちろん会話をしながら)、映画を観たり
(共通のフェイバリットは「バグダッド・カフェ」だった)、料理を食べた(バーで
からすがつくるものよりは複雑でデリケートな料理だ)。


恵比寿にあるレストランで2人が食事をしているときだった。

「聞いてもいいかな・・苺の仕事はなんなの?」からすは苺の返事を待たずに聞いた。

出会ってから3ヶ月がたっていた。
苺は首を左に傾けた。それが話すときの苺の癖だった。

「流しの花火師」

「ながしのはなびし」

「あるいは流しの手品師」

「ながしのはなびしあるいはながしのてじなし。よく分からないな・・・」

「もう少し時間をください。
 待ってて。そのうちわたしのことをたっぷり聞いてもらうことになるから」

「・・・・・」

「わたしは・・からすクンの仕事は知ってるつもり・・でも、どんな人なのかは知らない」

「平凡で平板な・・多少の驚きと多少の落胆でできている人間だ。
 時々スリーカードを引き当てるけど、フルハウスは経験したことがない」

「ねえいいかな。そんな面倒くさい話し方はやめたほうがいい。
 それに。からすクンが平凡で平板な男なわけないと思う」

「平均的な平和を愛する平家物語に涙する男。『平』3連発の男」

「なにそれ・・ふふっ」

「ねえ。『流し』がキーワードってこと?」

「えっ。そこへ戻ったの・・」

「流し、流れ者、吹き流し、風来坊、巡礼者、ジプシー・・」

「ハハハッ!どうして巡礼者とかジプシーになるわけ。
 わたしはね、まっすぐ前に進むのが苦手なんだよ、きっと。
 それで風に吹かれて、流れるのかもしれない。
 まっすぐよりさ、ちょっと曲がったりとか傾いたりのほうが楽でしょ」

苺はまた首を左へ傾けて照れくさそうにはにかんだ。

「苺の首が左へ傾むいて…傾いたほうへ歩いてきてこの町に辿り着いたなら、
 オレはその傾きに感謝する」

「わたしはこの町が気に入っている。だからしばらくは出ていかない」

「だったら・・オレは嬉しい」

「ねえ。平均的な平和を愛するって・・イイよね」

「えっ。今度はそこへ戻るのか?」

「猫ってさ、温かいところを見つけて寝そべるでしょ。路地や塀の上や…家の中でも温か
 いところをちゃんと知っている」

「・・・・・」

「腹這いになったり、身体を丸めたりして寝るよね。
 それに、横向きになったりして背伸びするようにして寝るときもある。
 あっ。猫ってこんなに長いんだって思うくらい背伸びして寝てるとき、あるでしょ?
 目を瞑って、幸せそうな顔で寝てるでしょ」

「・・・・・」

「あれって良くないかな?」

「うん。良いよな」

「あれってさあ、『平均的な平和』とか『平均的な幸福』じゃないかな?」

「特別な平和とか高得点の幸福じゃあ・・ないな」

「猫はさ・・。
 『諸君、平均的な平和と平均的な幸福こそが大切なんだぞ』ってさ・・
 わたしたちに伝えているんじゃないかな?」

「オレはほどよく冷えた目薬をさすと平均的な過不足のない幸福を感じる」

「ねっ。ねこは平均的な平和と平均的な幸福の伝道師なんだよ」

「かもしれない。でもまずは・・この平均的な料理と平均的なワインを片付けよう」

「うんうん。今度はもっと美味しいお店に行こうね!」

苺は目を瞑った猫のような目になって微笑んだ。


それから3ヶ月後。苺は町からいなくなった。
携帯電話は何度かけてもつながらなかった。
ある種の失踪もしくは疾走とでもいうような足跡も残さない手品のような消え方だった。


それが5年前の4月のことだ、桜が満開だった。


夏空に綿菓子ような雲が浮かぶのを眺めながら、からすはバーを閉じることをうずらに告
げた。
それから。からすの口数は少なくなった。


* **


盛岡市内のホテルにチェックインすると2人は材木町へ向かった。
ホテルでロビー・ボーイに「盛岡には美味しいクラフト・ビールがあるって聞いたんだけ
ど、どこに行けば飲めるのかな?」と聞くと、彼はにっこり笑ってこう答えた。「今日
は土曜日です。『よ市』に行ってみるといいですよ」


「よ市」は盛岡市材木町で30年前から開かれている市だ。毎年4月から11月にかけて毎
週土曜日に開かれていた。
「よ市」は「夜の市」や余ったものを安く売る「余市」からつけた名前らしい。
350mほどの長さの道路をはさんで両側に古くからの商家が軒を並べ、店舗と道路の間の
歩道にずらりとさまざまな露店が連なっていた。商店街の両端には「よ市」と書かれた大
きな垂れ幕がひるがえっていて道路は歩行者天国になり多くの人で賑わっていた。
露店では農家の人達が、野菜、果物、山菜、生花を売っていた。しかし2人にとってこれ
らの露店は目に入らなかった。狙いは盛岡のクラフトビール会社が出店した露店、それと
食べ物だ。通りを歩きながら食べ物の露店をざっと見渡した。ラーメン、焼きそば、たこ
焼き、焼き鳥、焼トン、ツブ貝串焼き、モツ煮込み、牛スジ大根煮込み、鉄板焼き辛味噌
ホルモン、トンカツ、コロッケ、燻製(肉/チーズ)などなど。縁日の露店と違って「よ市」
の露店は殆どが市内に店舗をもつ飲食店の出張露店なので種類も豊富で味も本格的だった。
なかにはコーヒーやケーキの露店もあったりした。
2人は目指すクラフトビールの露店を探して歩いた。それはすぐにみつかった。
クラフトビールを買うための長い行列がとても目立っていたからだ。工場から瓶詰め前に
直送されたビール樽は3種類。樽をつないだサーバーからグラスへ注いで売っていた。
からすとうずらは話し合って分かれた。からすがビール担当で列に並んだ。うずらは食べ
物購入担当。からすはビールを4杯買って集合場所の通りに設置されたベンチへ来たが、
うずらはなかなか戻ってこなかった。2杯めのビールを半分飲んだ頃、うずらが戻ってき
た。殻付きのまま蒸した三陸の生牡蠣、玉こんにゃく、モツ煮込み・・なぜかシュークリ
ームも買ってきていた。
ドイツ風のクラフトビールは濃厚な飲み味なのに柔らかいフレイバーなので時間をかけて
飲み続けることができる美味しいビールだった。
うずらは満足そうに笑った。

「うん。こりゃ美味いビールだ。夕方の夏風に吹かれて飲むビールは格別だ」

「玉こんにゃくと牡蠣が美味い」からすは笑顔になった。

「モツ煮込みとシュークリームの組み合わせも乙なもんだな」

「・・・・・」

その日は材木町で酒買地蔵の祭りもやっていたので普段のよ市より人では多かった。

「・・苺は見あたらないな」うずらがビールを飲みながらつぶやいた。

盛岡出身の苺は2人によく言っていた。

『よ市は楽しいからさ、今度3人で行こう。すぐそばには北上川が流れてるんだよ・・
 川の畔のベンチに座ってさ、盛岡の地ビールで昼酒だあ!』


材木町は宮澤賢治ゆかりの町だった。商店街には「注文の多い料理店」を出版した光原社
が今は喫茶店になって残っていた。歩道には賢治童話の世界をモチーフにした6つのモニ
ュメントが置かれていた。
苺はこんなことを言ったことがあった。

『宮澤賢治の「雨にも負けず」ってさ・・ちょっとオフビートでさパンクだよね。
 「日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにでくのぼーと呼ばれ
  褒められもせず 苦にもされず そういうものに わたしはなりたい」
 ねっ?甲本ヒロトがジャンプしながら歌いそうじゃん。
 「そういうものにぃ わたしはぁなりたい! イエーィッ」とか。ねっ。』


夕闇せまる「よ市」のベンチで、からすは風に吹かれぼそりと独りごちた。

「ぬるくなってから味わいが増す良いビールだ・・」


* **


フィアットは県境を越え青森県に入った。道路は舗装されているが両側は見渡す限りの畑
地だった。雲がない青空だった。

「スカイブルーだな」「そりゃ青空だからな」

陽差しは雲に遮られずに直接地上に降り注いでいた。エアコンのききが悪いフィアットの
車内が暑くなってきたので2人とも窓を全開にした。


助手席のうずらが運転しているからすに話しかけてきた。

「荷物の木箱の中身だけどさ・・オマエX線スキャン画像をみて『はんぷか?』ってぼそ
 っと言ったろ?」

「えっ…」からすは戸惑った。うずらがまともな質問をしてきたからだ。

「あの巻物がはんぷなのか?」

「ああ。オマエにはそう見えなかったか?」

「はんぷってなんだ?」

「そこからかよ。帆布はな、厚手の布だ。亜麻とかで織った厚手の布だ」

「じゃあ、あれはカーペット?カーテン?」

「帆布はな…キャンバスとも言う」

「キャンバスって、あのキャンバスか?」

「ああ。油絵具を塗るのに使うキャンバスが帆布だ…」

「おい。じゃあ1週間前のあれ・・」

からすが言いたかったことは、東京都内の美術館で起きた絵画盗難事件だ。
うずらは溜め息を吐いて、からすへ言った。

「あのな。荷物を詮索するのはルール違反だ。オレ達は荷物を移動させるだけなんだ」

「おい。観てみないか?だってフェルメールの、青いターバンの……」

「黙れ!」からすは車の通らない田舎道で急ブレーキをかけた。うずらは身体が前に飛び
だし膝をフロントパネルで打ちつけ、「痛えよ」と文句を言った。

「いいか。このビジネスはな、信用が大事なんだ。信用を失えば危険がドアを叩く。
 それに。いざというとき、荷の中身を知らないことがオレたちの身を守るんだ」


十和田湖へ向かう山間部の登り坂に入るとFMラジオは電波の受信状況が悪くなりノイズ
しか聞こえなくなった。仕方がないのでからすはラジオを消した。

「エンリコ・フェルミっていう物理学者がさ、『宇宙人はどこにいるんだ?』って言った
 らしい」珍しくからすのほうから、しかも奇妙な話を始めた。

「ふんふん。なかなか見所がある物理学者だ。で?」案の定うずらは興味を示した。

「オマエに軽々しく評価されるようなヤツじゃない。いいか、ノーベル物理学賞をとって
 るし、あのマンハッタン計画で核分裂反応の研究をしていた…バリバリの物理学者だ」

「物理学者の評価にバリバリってのはありか?」うずらは評価合戦をゆずらない。物理
学者の評価に「なかなか見所がある」と「バリバリ」のどちらが適切か……。

「オーケィ、なかなか見所があるでイイから話を先に進めるぞ。
 宇宙が出来てから膨大な時間が流れた。そして宇宙には膨大な数の星が存在する。
 ここまではいいな?
 だったら。知的生命体も多数あるはずなのに、どうして地球に来た痕跡がないのか?
 地球に来た宇宙人がいるべきだと考察した。そこでフェルミは言った…」

「宇宙人はここにいるんだ!」

「違う。宇宙人はどこにいるんだ?・・だ」からすは、ここまで説明したのが無駄だっ
 たかと思い話を止めてラジオのスイッチをいれたがまだノイズなのですぐに消した。

「だから。宇宙人は地球に来たんだって」うずらは考えを曲げなかった。

「どうしてさ、そう簡単に断言できる?」

「いいか。猿と人類の違いはなんだ?」

「DNAだろ」

「違うな。パンツだ。地球に来た宇宙人が猿にパンツを穿かせたんだ。そしてパンツを穿
 かないと恥ずかしいというDNAを猿に植え付けた。
 するとどうだ、パンツを穿いた猿たちだけが進化を始めた」

「はあ?どうしてパンツを穿いただけで進化するんだよ」

「そりゃパンツを穿いただけじゃ猿が人間にはならないさ。いいかよく聞け」

「聞かなきゃいけないのか?」

「400万年の膨大な時をかけて猿は一念発起したんだ」

「猿がなんの一念発起だよ?」

「『人間らしく 生きたいな』ってさ」

「そりゃ何かの詩か?」

「違う。猿の一念発起の祈りだ」

「・・・・・」からすは眩暈がしてきた。

「それでな。困ったことが起きて宇宙人が悩んだ。パンツを穿かないと恥ずかしいという
 DNAを植え付けられた猿たちは・・パンツを脱がなくなった」

「この話はまだ続くのか?」

「続く」

「・・・・・」

「それでな。宇宙人は『時には…パンツを脱ぐと嬉しい』という神話を残したんだ」

「・・・・・」

「間違いないぞ。だってパンツのことを『猿股』って言うだろ?」


* **


十和田湖には寄らずに子ノ口の駐車場でフィアットを止めた。2人は奥入瀬渓流の遊歩道
を歩いた。ずっと1人で運転してきた、からすの身体は強張っていた。からすはどうして
1人で運転を続けるのか。うずらの運転する助手席に乗るともっと身体強張るからだ。
うずらはどうして運転を代わると言わないのか。からすが運転好きだと思ってるからだ。


奥入瀬渓流はブナなど樹木の群生に覆われていた。それは深い森ではないが夏の強い陽差
しを程よく遮り、充分な木洩れ日で辺りは暗くはないが空気はひんやりとして心地良かっ
た。渓流を挟んだ両側は視界が尽きるまで緑色に染まった樹木や植物だった。樹木の葉の
緑の彩りも鮮やかだが、奥入瀬渓流は苔植物群が豊富な「苔の森」として知られるだけあ
り、樹木の幹、倒れた朽ち木、岩石、そして水が流れている渓流にある転石までもが満遍
なく苔生していた。
フゥーッ。息をつめて景色を観ていたのを忘れ思わず深呼吸するほどの美しさだった。

「イッツ・ア・グリーン・ワールドだな」うずらが言った。

「英語タイトルにしてもディズニーランドのように子供は集まらないだろうけどな」
からすは笑いながら言った。

うずらが昨日盛岡の「よ市」で買った胡瓜2本をポケットから取り出して、1本をからす
に渡した。

「喰うのか?」うずらの行動の意味が分からずからすは聞いた。

「河童に会ったらさ、胡瓜をあげようと思ってさ」

「あのな。奥入瀬渓流に河童伝説はないぞ」

「えっ・・じゃあ河童はいないのか?」うずらは傍からみても分かるほど落胆し口数が少
なくなった。仕方ないのでうずらが乗ってくる話題をからすはふった。

「河童はいないけど世界のどこかに宇宙人はいるかもしれない」

うずらはまるでドリンク剤のCMタレントのように傍からみても元気になった。どうや
ら河童より宇宙人に興味があるようだ。

「そりゃ勿論宇宙人は世界中にいて人間の町で生活しているんだ」

「いきなりそこまで言い切るか?」

「だってさあ。ちょっと人間じゃないよねコイツっていうヤツいるだろ?
 ダ・ヴィンチとかアインシュタインとかさ」

「うん。確かにアイツは天才だからじゃ片付けられない…人間離れした才能のヤツはいる
 よな」

「なっ。だから宇宙人は猿にパンツを穿かせて人類へ進化させただけじゃなく、自分たち
 もそのまま地球に住んだんだ」

「宇宙人が町に住んでたら目立つだろ?」

「いいか。動物園に行ってさ、猿をみるとさ、自分に似てるか?似てないだろ。
 宇宙人は自分たちに似るように進化させて人類にしたんだ」

「・・・・・」

「だから。ばれない。
 けど年に数回顔色が緑とかエイリアン色に変わったり、耳が尖ったりするんだ。
 スポック船長のように」

「スポックは船長じゃない」

「だから年に数日そのときだけは……」

「そのときだけ?」

「兎のぬいぐるみの頭を被る」

「はあ…?」

「ジョン・レノンは『マジカル・ミステリー・ツアー』で兎のぬいぐるみを着てたじゃな
 いか」

「確かにジョンは人間離れしてるがな、兎のぬいぐるみはジョージだ。
 ジョンが着ていたのはせいうちだ」

「『アイ・アム・ザ・ウォラス』かあ…。
 でもオレのイメージじゃ宇宙人が被ってるのは兎なんだけどなあ・・・」


* **


奥入瀬渓流から戻りフィアットを走らせ10分位すると…
「この先、手打ち『名物・蟹うどん』」と書かれた看板が道路に立っていた。
こんな山の中で蟹うどん?十和田湖で淡水生息の蟹がとれるのか?まあいい。腹も空いて
いたことだし入ることにした。店は道沿いにあったのでほどなくみつかった。駐車場に
フィアットを停め2人は店に入った。

30分後。2人は笑顔で意気揚々と店から出てきた。満足だった。
うどんの上に乗ってきたのは淡水蟹ではなかった。たらば蟹のむき身がどーんと乗った、
贅沢な蟹うどんだった。麺もほどよい腰ともちもち感のある、見事な手打ち麺だった。
出汁に蟹の風味が効いて、つゆも上品な味わいだった。
駐車場のフィアットの隣に停まっている大きなトラックに2人の目は吸い寄せられた。
からすが「あーっ!」と叫びトラックを指さした。
ボディには大きな文字で『山崎水産 たらば風味蟹かまぼこ』と書かれていた。
からすは罵った

「クソッ!なんてこった」

「いいじゃないか。旨かったんだから」

「そういう問題じゃない。騙しやがって」

「だってさ。店の看板には生蟹って書いてないじゃん」

「名物と書いてある」

「名物の蟹かまぼこかもしれない」

そこへもう1台のトラックが駐車場に入ってきて止まった。
ボディには「及川製麺」と書かれていた。からすは両手で握り拳をつくりなじった。

「麺は手打ちじゃないのかよ!」

「製麺所が手打ちとか…」

「製麺所がそんな効率の悪いことするか」

2人の横をうどん麺の入ったケースを持った男が通っていった。その仕草がテキパキとし
ていて余計に腹がたった。すると他の男が続いた。手に持っていったダンボールには
「うどんスープ」と書かれてあった。動作がキビキビしていて余計に腹がたった。
からすが今度は泣き出しそうになって言った「出汁もつゆも手作りじゃないのかよ…」

車中でもからすは不機嫌のままだ。

「いいか。人間はな美味しいものを喰いたいっていう情熱が大切なんだ・・
 それをあのうどん屋め・・オレの情熱を踏みにじりやがって」

「いいじゃないか旨かったんだから」

「いいやよくない。こそこそしやがって。
 ああいうのはな・・ロックじゃねえ」

「時には・・不幸なこともおこるさ」

「それにしたってあんまりだ」

「地軸の傾きが足りなかったんだ。北極点の白熊隊が休憩中なんだ」

「何を言ってる?」

「地軸を傾けないと地球にワンダフルは起きないんだ」

「それで蟹かまぼこのうどん屋に入ってしまったって言うのか?」

「うん。それに・・奥入瀬渓流には河童がいなかった」

「・・・・・・」


十和田市から黒石市に入り、そこからさらに八甲田を通過して青森市に着いた時には夏の
太陽も傾いていた。目的地の貸倉庫に行く指定日は明日だ。つづら折りの山道を延々と運
転してきたからすの身体は強張り料理をつくる気は失せていた。2人はホテルの部屋に鞄
を放り込み夕食を求めて外の通りへ出た。

2人が落ち着いたのは郷土料理を出す居酒屋のカウンターだった。店は家族5人で切り盛
りしていた。酒蔵を改造した店内は落ち着いた雰囲気で好感がもてた。
ビールで乾杯した後は地元の酒「田酒」を冷やでもらった。カウンターの上に並んだ料理
はホタテと烏賊の刺身、じゃっぱ汁、貝焼きだった。どれも美味いが2人が特に気に入っ
たのは貝焼きだった。
「貝焼き(かやき)」はこんな料理だった。大ぶりのホタテの貝殻をそのまま火にかけて
調理する。そう。貝殻を鍋代わりに使った料理だ。ホタテ貝殻へ焼き干しでとった出汁を
入れて味噌を溶いたら火にかける。沸騰してきたらネギをあふれるくらいたっぷり入れ、
ネギが煮えてきたら最後に溶き卵を回しかける。卵が半熟になったら火からおろす。
これだけだ。これだけなのに旨い。半熟卵と汁も旨いが、ネギと焦げて貝にへばりついた
味噌がたまらない。焦げた味噌の風味が冷酒によく合った。
いい年をした大人2人が大声をあげ、のけぞって感動した。

「これはB級グルメなんかじゃない。もっと・・こう突き抜けている。
 これは・・パンクだな」からすは絞り出すように言った。

「ジョー・ストラマーに食べさせたかったなあ」うずらは笑顔で言った。

「ジョーイ・ラモーンにも食べさせたかった」からすも笑っていた。

「パティ・スミスにも・・」

「パティ・スミスの好みじゃないと思うぜ」

「そうかなあ・・」


1時間が過ぎたころ、からすが立ち上がりトイレに行った。戻って来ると、すぐに誰とで
も打ち解けるうずらが隣の客と仲良く話していた。からすがトイレに立つ直前にうずらの
隣に座った客だった。その客にうずらは貝焼きを「食べてみてよ」と勧め、笑いながら話
しかけていた。
その客は2人より少し年かさの男だった。床にはバックパック、上は半袖Tシャツ、下
はクロップド・タイプのカーゴパンツ、足下はトレッキングシューズだった。
うずらは遠慮なく聞いていた。

「アンタ何してる人?」

「うん…うまく説明できないんだけど・・あちこち歩いてるんだ」

「あちこち?」

「そう。あちこち」

「流しの花火師かな?」

「・・・・・」

「あるいは流しの手品師とか?」

「花火を作ったことはないし、手品もやったことがない」

「でもさ…あちこちだろ?」

「そう。あちこち」

「じゃあやっぱりキーワードは流しだ」

「どっちかって言うと。キーワードは森なんだ」

「森・・?」

「僕は森を歩いてるんだ」

「流しの森林浴師とか?」

「いや。うまく説明できないんだけど。
 森を歩く目的はそれほどクリアじゃないんだ」

その後1時間ほど男とうずらは噛み合わない話を続けた。からすは黙って飲んでいた。
男は「明日、白神山地へ行くつもりだ」と言って出ていった。

「今の人さ、話してみると良い人だったぜ」うずらは笑顔で言った。
「たださあ、津軽の郷土料理を食べながら飲むのが・・
 バーボン・ソーダってのはなあ」


***


東京で会った依頼人から受け取った紙に書いてあった貸倉庫ナンバーの前に行くと、これ
も紙に書いてあった赤いサーブが停まっていた。
2人がフィアットから降りると、サーブの運転席が開き男(?)が降りてきた。
男(?)を見てからすは舌打ちして顔をしかめた。一方うずらは目を輝かせて嬉しそうに
していた。
恰幅のよいどっしり肥った、この暑い日にダークスーツを着た男(?)は・・・。

ソイツは白兎のぬいぐるみの頭をすっぽり被っていた。

「オマエたち2人が運び屋だな?」兎頭は言った。声は男だった。

「アンタは宇宙人なんだろ?」うずらが我慢しきれずに聞いた。

「は?オマエ何を言ってる?」

「だから地球に住む宇宙人なんだろ。だって兎の頭を被ってるじゃないか!」

「これは単なる変装だ。オレは素性の分からない人間には素顔をさらしたくないんだ。
 おいそっちのヤツ、とにかくコイツを黙らせろ。
 話はそれからだ」

からすが兎男に向かって冷えた声を出した。

「話はそれからだってなんだ。オレたちはここでアンタに荷物を渡したら消える。
 それだけだ。それ以上も以下もない」

2人はフィアットのバンから木箱をさっさと出すと兎男の足下に置いた。

「追加の依頼があるんだ」

「断る」
「手紙を届けて欲しいんだ。
 差出人履歴のない手紙を運ぶのがオマエたちの仕事だろ」

「ふざけるな」からすは冷えた声に怒気をにじませ言うと、うずらへ行こうと促した。
うずらは首をふった。からすは小さな声で言った。「行くぞ」「いやだ。オレは宇宙人と
話したい」「ふざけてる場合か!行くぞ」2人が言い合ってると兎男が声をかけてきた。

「2人がよく知っている女性へ手紙を届けて欲しいんだ。
 からすとうずらが仲が良かった苺へ」

からすの声からは怒気が消え完全に冷えきった。

「オマエは誰だ?どうしてオレたちの名前を知っている?」

「彼女はオマエたち2人に会いたがっている」

「苺の知り合いなのか?」

「オレは彼女のことを知っている。だけど彼女はオレを知らない」

「おい。何を言ってる?」

「だからオレが彼女へ書いた手紙は差出人の名前が無い。
 たとえ書いても彼女はオレを知らない」

「おい。質問に答えろ。オマエは何者なんだ?」

「オレは彼女へ贈る、花火と手品の種と仕掛けのアイデアを書いた。
 そしてこの手紙を彼女へ届けるのはオマエたち2人だ」

「・・・・・」

「いいからこの手紙を宛先の住所へ届けろ」

「これはトラップか?」

「初対面のオマエたちを罠にはめる理由がオレにあると思うか?」

「・・・・・」

「それに。これがもし罠だとしても、苺に会えるかもしれないんだ。
 オマエたちは行くだろ?」

「・・・・・」

「車は交換しよう。フィアットはオレが処分しておく。
 そして。今日でこの仕事は最後にしろ。
 ああ言っとくがな、荷物は盗品じゃないぞ。オレが描いた油絵だ」

「・・・・・」

「そろそろさ。平均的な平和と平均的な幸福を求めてみたらどうだ?」

「オマエは質問に答えてない。オマエはいったい何者なんだ?」

「だから宇宙人だって!」うずらが焦れったそうに言った。

「オマエは黙ってろ」

兎男はゲラゲラ笑って言った。

「オレに名前はないんだ。知り合いはオレをMと呼ぶけどな」

「それじゃ答えになってない」

「いいからこの住所の所へ行ってみればいい。
 オレのやることはな・・・そつがないんだ」兎男はまたゲラゲラ笑いながら言った。

「さあ。2人とももう行け」

「オマエに関する情報が何もないのにこのまま行けるか!」

「うるさい。さっさと行け。
 なあ頼む・・もう行ってくれ。
 オレはもう限界なんだ!」

「・・・・・・?」

兎男が初めて怒気を含んだ声で言った。

「兎のぬいぐるみを被ってるとな・・・
 暑いんだ!」


***


2人が乗った赤いサーブが東北自動車道の入口を目指し走り始めて10分位たったときだ。
うずらは「『あおもり犬』を観に行こう」と言い出した。

「あおもり犬?なんだそれ?」

「知らないのかよ。青森県立美術館にさ、奈良美智のでっかい犬のモニュメントがあるん
 だぜ」

からすはこのまま行こう寄り道はなしだと言ったが、うずらは頑固に譲らなかった。


緑の芝生が敷き詰められた庭は、庭といより草原のような広さだった。芝生の草原の端に
白いL字型の美術館が建っていた。青い空と緑の芝生の間に白い美術館は建っていて、そ
れはまるで空と芝生と建築物でコラボレートした美術品のようだった。
「あおもり犬」は美術館に併設した壁囲いで青空天井になっている屋外トレンチに展示し
てあった。
高さ8.5mの白い犬が前足を床につけうつむいていた。奈良美智独特のなめらかな曲線で
造形された犬を観ていると心が軽くなった。

「なっ。観にきてよかったろ?」うずらはニッコリ笑った。うずらは照れくさそうに続け
た「実はさっき、兎男がオレにここへ行ってみろって言ったんだ」

「オマエがアイツの車に乗り込んだときに聞いたのか?」

「だって宇宙人と話したいじゃん」

「まだそんなこと言ってるのか・・」

「ここにくれば心が軽くなるから行ってみろって。心だけじゃない。身も心もだって。
 ここは兎男の担当エリアなんだってさ・・」

「なんだ、担当エリアって・・?」

大きな犬のモニュメントの回りをたくさんの子供たちが走っていた。軽やかに跳ねていた。
うずらが言った「子供たちさ・・軽やかだろ?」

「ん・・?」

「いいか。兎男が言ってたことをやってみるぞ」うずらはポケットから100円硬貨を取り
出すと「見てろよ」と言い硬貨を真上に放り投げた。
落下してくる硬貨の「100」の文字がはっきり見える。小さな「平成20年」の文字もしっ
かり見えた。うずらは「兎男の言ったとおりだ」とはしゃいだ。

「えっ・・」と言ったからすに向かい「まっ。みたまんまだ」とうずらは言った。
「なっ。この屋外トレンチじゃ子供たちが軽やかなわけだ」うずらは笑った。


それから2時間後。2人が乗った赤のサーブは東北自動車道を南へ走っていた。
手紙の宛先は仙台市だった。
うずらが弾んだ声で言った「良かったなあ。苺に会える」
からすが不機嫌な声で応じた「オマエはアイツを信用するのか?」

「いいか。今日はワンダフルな日なんだ。北極点の白熊たちがぐいっと地軸を傾けて地球
 にワンダフルがやってきたんだって」

「またそんなこと言ってるのか」

「オレもさ・・北極点地軸隊の・・白熊の夢を初めてみたときは半信半疑だった」

「それでも最初から半分は信じてたってことじゃないか。
 おい。ちょっと待て。夢だって?その話は夢だったのか?」

「ああ」

「じゃあ何か。オマエは夢で見た話をオレに『知ってるか?』って聞いたのか!」

「そうだけど」

「そうだけどじゃない」

「だって何度も同じ夢を見るからさ、もしかしてみんな知ってるのかと思ってさ」

「ふざけるな」

うずらは大きな声で叫んだ「ワンダフルー!!」

目の前に岩手山が大きく迫っていた。岩手山を間近で観えるポイントが東北自動車道には
あった。岩手山は大きくてしかも優美だった。
それに、なんていうか・・気持ちの良いヤツだった。

岩手山を通り過ぎるとうずらは話を再開した。

「そっかあ。からすは北極点地軸隊の白熊たちのことは知らなかったのか…」

「誰が知るか・・」

「あっ。でもな、昨日の夜居酒屋で会った男に話したらさ、アイツは知ってたぞ」

「なんだって!」からすは思わずうずらの方をみた。ハンドルに力が入りサーブが右へ流
れた。からすは慌てて前を向いてハンドルを操作した。
うずらはサーブの蛇行にも無頓着で話し続けた。

「からすがトイレに行ってる時に話したんだ。
 そしたらアイツは『ああ。その話なら知ってる』って」

「どうしてアイツは知ってたんだ?」

「聞いたことがあるらしい」

「誰から?」

「確かさ、『月男』とか・・言ってたぞ」

「・・・・・」


***


仙台市青葉区作並にある苺の家。彼女はテーブルに置いたスケッチブックに色鉛筆で花火
のデザイン画を描いていた。苺はコンピュータ・グラフィックでの花火デザインを避けて
いた。服のデザインも花火のデザインも同じだ。アイデアをラフスケッチするには脳と直
結した手描きじゃないと心が躍らない。
テーブルの上には写真が立ててあった。そこには花火師の祖父と幼い苺が写っていた。
苺は祖父と一緒に遊ぶのが好きだった。
源爺の口癖は『花火師は手品師であれ!』だった。

『いいか苺。夏の夜空に突然パッと咲いてパッと消える花火はな手品なんだ。
 どっちも、おおすげえって驚くだろ。いいか大事なのはここなんだ。
 花火も「すげえっ!」がなきゃなだめなんだ。「きれい」だけじゃだめなんだ』

『イリュージョンだね』

『・・?ああ・・そうだ。ロンドンの花火師イリュー・ジョンが1985年に・・』

『源爺。知ったかぶりして嘘ついたらもう遊ばないよ』

『うおっほん。だからな。イギリス人のイリュー・ジョンが驚くような花火を・・・』

『源爺!今後は会話の中で英語は禁止だからね』

『・・・・・』

『ところでね。源爺は知ってる?どうして猿が人間に進化したんだろ?』

『そんなことも知らないのか。
 あのな。遠い遠い昔に…空からやって来た者たちが猿にパンツを穿かせたんだ』

『はあ…なにそれ?それとね。パンツは英語だよ』

『・・・・・』


花火のデザイン画を描き始めたけど・・これといったアイデアが出ない苺はふてくされた。
「ああ。もうっ」小さく叫んで苺は寝癖でとりちらかった長い髪を指で掻きむしった。
そんなときだ。
玄関のドアフォンが鳴るので、壁まで行きドアフォンの通話ボタンを押した。男の声で手
紙を届けにきたと言うので、苺は面倒くさそうに「郵便受けに入れて」と言った。すると
男の声が「受け取りのサインが必要なんだ」と返してきた。
苺は「ちょっと待って下さい」と言ってから溜息をついた。それから寝癖がついたままの
長い髪を無造作にまとめてアップにすると、後頭部にまとめた髪にかんざしの代わりにテ
ーブルに置いてあった色鉛筆を刺した。真上から垂直に色鉛筆を髪へ…すっと刺した。


苺が玄関ドアを開けると、そこにはからすとうずらが立っていた。
すぐには声が出ない3人。ややあって最初に口を開いたのはからすだった。

「やあ」からすはまるで昨日別れたみたいな気安さで言った。

「やあ」苺はさっきまで電話で話していたような親密さで答えた。

「雨が降りそうだな?」うずらは再会より空模様が気になっているようだった。

苺は両手を腰にあて、ずけずけと言った。

「ねえ。君たちさあ。わたしをみつけるまでいったい何年かかったと思ってるの」

「・・・・・」「・・・・・」

苺は目を瞑った猫のような目になって微笑んだ。それから。
両腕を胸の下で組んだ苺は5年前と同じ仕草で・・・首を左に傾けた。

「ほら見ろ!」うずらが小さく叫んだ。
「地軸が傾くとワンダフルが起きるんだ」

「・・・・・」


苺が顔を左に傾けると後頭部から頭上へ真っ直ぐ伸びていた色鉛筆も左へ・・・
地軸のように傾いていた。





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