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KIRIN

6月の土曜の午後だった
キリンがやってきた、たくさんの幸福が詰まった鞄を持って



玄関から男の声がするので行ってみると
青いモルタルの床の上にキリンが立っていた

30代半ばの男だ
身長は175cmくらい 草食なのに筋肉が発達している
柔らかな黒髪が肩にかかっていた
黒いオークリーのサングラス
黄色のパイナップルが描かれた赤いハワイアン・シャツ
青のデニムに足元は赤のコンバース

キリンだな・・?
隣に立っているマルに小声で確認すると彼は尾を左右に振って同意を示した

男に言った
「君はキリンだね?」
「勿論」

キリンという名前の男じゃない、彼の本質・・いや実質がキリンだった
でも見た目は30代半ばの男として不審なところはない
話しながら上下の歯茎をむき出しにすること以外は

まぁ、ボクと会話ができる猫のほうが不審ではあるんだが・・


キリンの用件はシンプルだった
持ってきた鞄を1週間預かって欲しい、それだけだ

キリンは持って来たアルミニウムの鞄を床に置いた
とても大きな鞄だ
120号Figureのキャンバスが収まるくらい
'65年式アルファロメオ・ジュリアの1300ccエンジンが収まるくらい

キリンはポケットからゼムクリップを取り出すとクリップをまっすぐに伸ばした
クリップの先端を鞄の鍵穴へ挿入するとすぐに解錠した

「仕組みはシンプルなんだ。これは厳密には鍵じゃない。
 PCの光学ドライブからメディアが排出されないとき、よくこうしてクリップの先端を穴に入れ
 て押すだろ、同じ仕組みさ」
「・・・・・」

「ほら鞄を開けて見てごらん」
キリンはそう言うと、床に古いラジカセを置き"Play"ボタンを押した
流れてきたのは懐かしいピアノ曲

「クレオパトラの夢・・・」
「そう。でも鞄の中に入ってるのは・・"夢"じゃない。さあ、開けてみて」

ボクは鞄を開けて中をみたけ
あまりのことに驚いてすぐに閉じた

中には・・"たくさんの幸福"・・・が、ぎっしりと詰まっていた

「1週間だけ預かってくれ。それまでは2度と開けちゃダメだ」
「・・・」
「もしボクが戻らなっかたら、その時は君の好きにしていい」

どうしてボクなんだ?
ボクは・・砂浜で子供にいじめられてる亀を助けたことはない
ボクは・・地蔵の頭部に積もった雪を払い笠をかぶせたこともない

キリンが言った
「君の目で見て、中身は何だった?」
「たくさんの幸福」
「具体的には?何が入ってた・・?」
「・・・思い出せない」
「そう思い出せない、捉えどころがない・・」
「・・・」
「だけど、入ってたのは"幸福"に違いない・・そうだね?」
「そうだ」

「入っていた"幸福"は具体的なイメージを持たない。
 君は本質を感知したが、それを事物として認識できない・・」
「・・・」
「まあ・・仕方のないことさ・・ボクにはどうしようもないんだから。
 ただ・・ソレは僕にとって、本能的じゃない、刺激的じゃない、興奮しない・・」
「"幸福"は・・興奮しないといけないのかな?」

「・・・退屈でもいいのか?」

横に立っていたマルの尾は静止したままだ マルは同意していなかった

エピキュリアンで菜食主義のキリンは話しながら興奮していた
首を5cmほど伸ばすと歯茎を出して頭を振った

「クレオパトラの夢」の演奏が終わるとキリンは無言で出て行った


刺激的じゃない、興奮しない、退屈な"幸福"の詰まった鞄が青いモルタルの床の上に残された

ボクの横に立っていたマルが前に出てきてキリンが出て行った玄関のドアを見ていた

西から入ってきた木洩れ陽が床に影をつくる午後の出来事だ

G0000519@.jpg


「キリンは戻って来ると思うか?」
「来ない」
「ボクもそう思う。それじゃこの鞄はどうする?」
「それはオマエへの贈り物なんだ」
「ボクには受け取る理由がない」
「それはオマエが決めることじゃない。それに・・」
「それに?」
「理由はあるんだ、きっと・・」

「1週間後に開けてみるか?」
「・・・」
「やめとく?」
「うん。開けるのは、ずっとずっと先・・そんな気がする」

マルは左前足の肉球を舐めながら言った

「大事にしまっておけばいい。そうすればそれは、オマエの宝物になる」
「退屈な幸福が?」


マルは大きな欠伸をして言った

"退屈な幸福” それ以上の宝物があるのか?


Bud Powell 「Cleopatra's Dream」



【蛇足】

ボクはリビングに戻るとソファに寝転ろんだ
さっきまで読んでいた本の続きを読み始めた

タイトルは『麒麟』

本を読んでいると、隣の部屋から金属的な音が響いてきた

隣の部屋に入ってみると・・
マルがアルミニウムの鞄に向かって前足を動かしていた


「何してるんだ?オマエ・・」

「爪を研いでるんだ・・」

「オイ!爪の先が鍵穴に入ってるじゃないか・・オマエ勝手に開けようとしてたな?」

マルは横を向くと・・大きな欠伸をした

「誤魔化すんじゃないっ!」

「・・・」


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コメント 11

浅葱

30年くらい前の村上さんを思い出しました。
あの頃は今のような人気作家ではなかったですねぇ。
必ず「誰それ?」って言われましたもの。
大学の弓道部の先輩に村上さんを読んでいる方が一人だけいて
「俺以外に初めて会った」と驚かれた事を思い出します。
今は。。一体どうしちゃったんでしょう。
by 浅葱 (2013-06-10 19:11) 

beluga

その場面が、目の前に見えているような感覚に
面白いです。
by beluga (2013-06-10 19:53) 

hatumi30331

沢山の幸福・・・
その人に合った幸福が出て来るのかなあ〜
見てみたい! 私の幸福が何なのか・・・(笑)
by hatumi30331 (2013-06-10 19:55) 

johncomeback

今回も楽しませていただきました。
”退屈な幸福” 欲しいような、欲しくないような・・・
by johncomeback (2013-06-10 20:28) 

ゆうみ

マルさんのおっしゃることに従いましょう。
人生の舵はマルさんが動かしているのです。
by ゆうみ (2013-06-10 21:39) 

Sizuku

冒頭の一節から既に心掴まれ、最後まで一気に読み終えました。
そして今、心地良い感覚に包まれています^^

>「入っていた"幸福"は具体的なイメージを持たない。
 君は本質を感知したが、それを事物として認識できない・・」

この言葉にすごく反応してしまいました。
というのも、自分はいつもこんな感じで生きてるかも?と感じたからです。
感覚でキャッチした大枠(自分にとって大切だと感じるところ)だけが印象に残り
その他の細かい部分や全体像を認識できないというかあまり興味がないと言うか・・・(^^;

なので、確かに概ね幸福だったとは思うのですが、刺激的なこととも縁遠く
若い頃は特に積極的に自分の人生に参加しようという意志も足りなかった気がします。
40代になってようやくそんな気持が芽生えてきた遅咲きの私です。
相変わらず感知するのは事物として認識できないものばかりですが・・・(^^)
by Sizuku (2013-06-11 08:07) 

ねこじたん

マルさん… ツメ研ぎが見つかったときの
バクバク感 すごかったでしょうね
幸せは 先取りも溜めることもできないから
マルさんが もにょもにょして
いいタイミングで 出しちゃってるのかもしれませんね
by ねこじたん (2013-06-11 09:46) 

engrid

大きな欠伸なのですって 幸福は、、マルの話
by engrid (2013-06-11 16:54) 

yuzuhane

こんなやりとりができるまるちゃんがいて、こんな世界を作り出せるC_BoYさんの頭の中が幸福に満ちている気がします。
by yuzuhane (2013-06-11 17:35) 

ケロヨン

具体的なイメージのない幸福…。
ピンボケ写真の中に、ほんわか漂ってる幸せのような?
退屈にあくびが出来ること事態、かなり幸せなのだと思います(^^
by ケロヨン (2013-06-12 13:24) 

C_BoY

浅葱 さん
ああ、そうなんですか…どうも"村上さん"はデビューから人気作家だったなのかと思ってました。村上さんの長編小説は物語、物語を構成する文章、文章の核になる文体…etc.より言葉の選択と配置に惹かれます。好きな作家10人の上半分にずっといる作家の1人です。村上さんの作品で気に入ってるのは…「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」、「ねじまき鳥クロニクル」、この2作です。


beluga さん
まぁ、現実に体験したら△☆♢??ですけどね(^_^;)


hatumi30331 さん
具体的な実体・イメージがない幸福ですから…鞄を開けた人によって中身は変わったりするかもです…(^^)


johncomeback さん
欲しくないような、欲しいような・・
大きな口を開けて欠伸をする猫を見てると、"退屈な幸福"っていいかなと思ったんですよ(^^)


ゆうみ さん
問題はマルの舵操作が上手いのかどうかですね・・(^_^;)


Sizuku さん
ボクは大枠はキャッチできないんです…子供の頃から。
「1本の木が気になるんだから、森全体なんか目に入らないけど、それが何か?」みたいな子供だったのか、というと…木も目に入らないで"葉っぱ"だけとか。動物園に行ってきて、「ライオンはどうだった?」と祖父から聞かれ、「眼が光ってた」と答えるような子供でした。
今?...変わりません。だから、大所高所でモノが見えません、困ったものです(T_T)


ねこじたん さん
いいタイミングですよね、確かに。
そっかータイミングなんだなー(^^)


engrid さん
そうですね。大きな欠伸してるときや、目を細めて肉球を舐めてる時の猫って幸せそうな顔をするんですよねー(^^)


yuzuhane さん
頭の中の仕切られたコンパートメント…何処かに幸福が入ってないかと探してるところです(^_^;)


ケロヨン さん
溶けるようなアウト・フォーカスの写真の中にはシアワセが漂ってると思います、ボクも…だって見てるボクが溶けそうになりますから(^^)






by C_BoY (2013-06-12 19:17) 

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