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プロローグ


冷蔵庫を開けた男が舌打ちした。

「なんだ。ビールとチーズしか入ってないじゃないか」

男は仲間からイヌと呼ばれていた。
いつもの白い麻のスーツを着ていた。
33歳。ケミカルの専門家だ。
合法および非合法薬物、洗剤から火薬に至るまで精通していた。
あらゆる化学物質を駆使した工作を得意とする男だ。
製薬会社ラボ研究者から花火師へ転職したのは仮の姿だ。


「冷蔵庫に入れるモンでビールとチーズ以外の何があるんだよ!」

イヌに毒づいた赤ら顔の男はサルと呼ばれていた。
コンプレッション・ウエアの下で筋肉が波打っていた。
35歳。格闘術の専門家だ。
人体のあらゆる骨格構造に精通していた。
人間の関節に触れ、たちどころに「骨抜き」にしてしまう技術をもっていた。
ジムのフィジカル・トレーナーは仮の姿だ。


「うるせーよ、2人とも。ボク音楽を聴いてんだからさ」

短い髪を7色に染め分け、虹色テキスタイルのワンピースを着た女はキジ。
30歳。情報操作の専門家だ。
通信傍受からハッキング…2進法世界を自在に操るサイバー・クイーンだ。
MacBookのリターン・キーを叩くと画面に…サルのEメール、携帯・LINE・Skype通話履歴、
クレジットカード決済履歴、パスモ使用履歴、FaceBookログイン情報が流れてきた。
Webプログラマは仮の姿だ。


サルが喚いた。

「なあ。この女に言ってくれよ。身内の情報を探るんじゃねえって。
 なにニヤニヤ笑ってんんだよ!」

サルが話しかけたこの部屋の主はモモと呼ばれていた。
白いTシャツに青のデニムを穿いた、ひときわ大柄な男だ。
38歳。口角を挙げにやついていたが一重の目だけが笑っていなかった。
右手でビール瓶をもち、喉の奥でククッと笑った。
チームリーダーでプランナー。
専門も仮の姿もあったもんじゃない。
生粋のペルソナ・ノン・グラータだ。


***


築30年の古びたマンションの8階にあるモモの部屋。

モモに促され3人がテーブを囲み席についた。
先に口を開いたのはサルだ。

「今回のネタはなんだ?」

「・・・・・・」
モモはすぐに返事をせずビールを喉に流し込んでいた。

「ネタもそうだが…クライアントはどうなってる?」

「・・・・・」

「この前のようなふざけたクライアントだったらオレはのらない。
 それになんだったんだ、この前の作戦は。
 おかげでどれだけひでぇ目にあったんだよ」

「そうだな。モモの持ってくるミッションは少々リスクが高いな…」

「どんな作戦にもリスクはつきものだ。
 イエニスタから前線のメッシへのパスがいつも通るとは限らない」

「ふふっ」

「キジ、笑ってるんじゃねえ。
 あのな。あんなのはリスクとは言わねえんだ。
 無茶なだけだ!」

「オレが危険球を投げたってのか?」

「確かに。打者の胸もとに投げたカーブも曲がらなければ死球になるな」

「イヌ、お前までのん気なこと言ってんじゃねえ」

「カーブの投げすぎで肘を痛めた。
 最近はもっぱらナック・ルボールさ」

「はあ?
 余計たちが悪いだろうよ」

「ふふっ。ボクはモモが立案する作戦は好きだけどな、ワクワクする」

「いいかキジ。ワクワクってのはな、命をかけてやるもんじゃねえんだ」

「おいサル。オレがいつそんな無茶な作戦をデザインした?」

「よく聞けモモ。
 あんたのトランプにはジョーカーが何枚入っるんだ?
 ジョーカーってのはな1枚しか使えねえもんなんだ。
 ジョーカー頼みの作戦なんてな…そんなもん作戦とは言わねえんだ」
 
「3枚」

「ん?」

「オレはお前ら3人がジョーカーだと考えて作戦をデザインしてるけどな」

「ボクはクイーンがいい」

「オレは…坊主(芒)に月が好みだな」

「お前ら。ふざけるな」

サルは大きな音をたてビール瓶をテーブルに置いた。
「いいかげんにしろ。お前ら忘れたのか?
 前回の報酬はどこからオレの口座に振り込まれたんだ?
 ベトナムの架空口座からだ」

「洗濯機から出てきたきれいな金ばっかりじゃないってことだ」

「あのな。報酬に足跡のついた金を使うクライアントなんてクソだ!」

「だから、報酬が相場の3倍だったんだ…」

「だからって汚れた金の洗浄にオレの口座を使うってのはあんまりだろ」

「チームの中で足のついてない架空口座を持ってたのはな…
 お前だけだったんだ」

「新しい口座をつくればいいだろ!」

「時間がなかった。
 ヤツら仕事が終了した時点で言ってきたんだ。
 ギャラが相場の3倍のからくりを。にやにやしながらな」

「明らかな契約違反だ。どうして撥ねつけねえんだ?」

「あのな。1メートルの至近距離で35口径と対面してみろ。
 クソ生意気なガキだって教師の説教をおとなしく聞くだろ」

「ボクがあのあとサイバー・カジノをつかって綺麗に洗ってあげたじゃん」

「サルは清潔好きの潔癖症だからなあ」

「そういう問題じゃねえ」


***


医療大麻(マリファナ)はアメリカ、カナダ、イスラエル、イギリス、ベルギー、オーストリア、
スペイン、フィンランドで合法化されている。
大麻の成分カンナビノイド、THC(テトラヒドロカンナビノール)は
疼痛の軽減、不安や抑うつの緩和に効果がある。
医療大麻は主に慢性疼痛治療目的に乾燥大麻をパイプで喫煙する方法がとられる。
現在では合成カンナビノイドや合成THCも各国で処方されている。

アメリカでは医療大麻が17州で合法化されたばかりか、嗜好大麻も2州で合法化されている。
2014年1月コロラド州で嗜好品として合法大麻が販売された。
その価格は思いのほか高かった。
コロラド州のマリファナ愛好家はこうSNSに投稿した。
「こんなに値段が高いなら合法化なんてクソくらえ!」
それに対し他州の愛好家からはこんなSNS投稿があった。
「僕の住むシカゴでは、その値段で僕らが買えるのはギャングが売る限られた品種だけ。
 同じ金額で豊富な品揃えの安全で高品質なマリファナを選べるのなら、
 僕は喜んでコロラドの雪の中で並ぶよ!」

州の管理下で生産された大麻は医療大麻への割当が殆どで、嗜好大麻への割り当ては少量だった。
それが販売価格高騰の原因だった。


***


モモは腕組みをといて煙草を吸い始めた。
太く長い煙を吐き出すと話し始めた。

「いいか。将来、合法の嗜好大麻が大量生産され安価で市場に流れれば
 非合法大麻は大打撃だ。品質と安全性では太刀打ちできないからだ」

「非合法組織は少し慌ててるってわけか…」

「連中の栽培や運搬方法を考えりゃ安全性はかなわないもんね」

「しかも合法大麻は高品質…連中のより上物ってわけか、ククッ」

「新興マリファナのブランディングが品質管理と安全性ってのが笑えるな…」

モモはニヤリと笑って話を継いだ。
「そうしたらだ。予想外のヤツが登場した。
 誰も名前を知らないルーキーがとんでもない飛距離のホームランを打っちまったんだ」

「ん…?」

「どんな業界だってな。国や組織の管理から離れたところで、
 ブレイク・スルーを起こすヤツが出てくるもんさ」

「はあ…?」

「いいか。高品質つまり、カンナビノイドとTHCの含有量が多くてしかも安全な大麻を
 安価に大量に栽培する方法が発明されたらどうする?
 非合法どころか合法だって打撃を受ける」

マリファナに目がないキジが身を乗り出した。
「そんなのがほんとにあるの?」

「価格は知らない。ただし出来はとびっきりだ…そうだ」

化学薬品の情報に目がないサルが聞いてきた。
「それは自然栽培か?それとも化学合成薬か?」

「香りは間違いなく天然物だってことだ」

「香りは?」

モモは瓶に残ったビールを飲み干した。
西日の差す部屋の空調の温度を下げると話を再開した。
「3ヶ月前だ。新宿のはずれの酒場で深夜ぼや騒ぎがあった。
 厨房から火が出て店は半焼した。従業員と客には怪我はなかったがな」

「・・・・・・」

「店内から逃げる客の中に…ドレッド・ヘアの男がいた。
 風体は妖しいが、れっきとした香道の宗匠だ。
 男は香りの聞き分け(嗅ぎ分け)のプロフェッショナルだ。
 男は見逃さなかった。
 55歳のその男は香木を焚く香りを愛する一方、
 30年来のマリファナ愛煙家でテイスターだった」

「・・・・・」

「その火事で客が持ち込んだ鞄の中にあった乾燥大麻も燃えた。
 そのほかにも店内のありとあらゆる物が燃えてるっていうのに。
 その煙の中で…男は香りを嗅ぎ分けた。
 マリファナが燃えている香りを火事の煙のなかから嗅ぎ分けた。
 この香りは!
 中央アジア産じゃない、メキシコ産でもコロンビア産でもない。」

「火事の煙のなかで…マリファナの香りが嗅ぎ分けられるものなのか!」

「今と同じ質問をされたとき、その男はこう答えたそうだ。
 “嗅ぎ分けられるに決まってる。あれはとびっきりの上物だ。
 このオレだってあんな凄いヤツは生まれて初めてだ “」

「・・・・・」

「世界中のマリファナ煙を完璧に嗅ぎ分けられるその男が言ったらしい。
 ドレッド・ヘアに染みついた煙の残り香を堪能しながら言ったんだとよ。
 オリジナルだ。どこの土地のものでもない。
 こんな凄いヤツがあったなんて。
 クールなのにロケットみたいにぶっ飛ぶヤツは初めてだ!」

「・・・・・」

「世界1のマリファナはアフガニスタンでもコロンビアでもない。
 新宿の酒場にあったんだ」


***


サルが叫んだ。
「ちょっと待てモモ。
 このネタは赤坂の大使館がらみだって言うのか…冗談じゃない。
 オレは降りる。
 どうせ本社はD.C.じゃなくってバージニアの連中なんだろ?
 ふざけるな。危険すぎて手がだせるか」

「そのマリファナの栽培レシピとプラント技術を手に入れたい連中がいる。
 医者の処方箋なしに医療大麻を大量に欲しがる連中はだれだ?
 慢性疼痛の人間をたくさん抱えてる組織はどこだ?
 PTSDに悩んでる人間をたくさん抱えてるのは?」

イヌは難しい顔になった。低い声で呟いた。
「軍がからんでるのか…」

キジが鼻歌まじりに聞いた。
「そんなタフな案件なのにさあ…
 どうしてこのチームに依頼がきたんだろ?」

「クライアントが言うには…オレたちがプロフェッショナルだからなんだと」

「は?」

イヌがぼそっと息を吐くように言った。
「プロフェッショナルか…。モモがいつも言ってるあれか。
 スピードと深さと熱意」

キジが笑った。
「この仕事に熱意や情熱はどうかな…。
 それとさモモはよく怒鳴るけどね。
 お前らネジを締めろ!でも1番ネジが緩んでるのは誰だあ?」

イヌもつられて笑って言った。
「モモはよく言ってるよな。
 悪党は明るいのが1番だって…ハハッ」

モモは鼻をふんっとならして言った。
「やれやれ。
 プロフェッショナルはさておきだ。
 クライアントがオレに話を持って来たのは…まあ、あれだ。
 フリーランスってのはパートタイムの危ない仕事にはうってつけなんだ。
 それにな…退職金と年金の心配がない」

サルはなおも喰いさがった。
「こんな危険なネタなのにモモはどうして受けるんだ?」

「オレのクライアントとは別にこの件に首を突っ込んできた連中がいる。
 連中には3年前に苦い水を飲まされたことがあった。
 オレはな見た目と違って執念深いんだ。
 連中に仕返しがしたいんだ」
 
サルが目を丸くして言った。
「仕返しだぁ…ガキかよお前!」

モモが吠えた。
「オレは執念深いけど辛抱強くないんだ。
 オレはな。ホトトギスが鳴くまでなんか待てねえんだ!
 このチャンスに連中に一泡吹かせてやりたいんだ」

サルはどこかのネジが外れたようにゲラゲラ笑い出した。
「おい。そんなに笑わせるなよ」
哄笑が止むとサルは真顔になった。
口角を挙げると冷えた笑いがサルの顔に浮かびあがった。
「よし…分かった。つきあってやるよ。
 ヤラれっぱなしってのは確かに気分が悪い」

「ん…?」

「だってお前さ。喧嘩弱いだろ。
 物音たてずに敵を排除するには素手が1番なんだよ」

「ケミカルの知識がないと厳しい事案だな、これは」

「とびっきりの上物なんでしょ、そのマリファナ!」
 

椅子から立ち上がり冷蔵庫を開けたサルが舌打ちした。

「なんだよ。ビールとチーズしか入ってねえのかよ」


部屋の隅で暖かい西日にまどろむサバトラ猫がにやにや笑っていた。


The Heavy 「Same Ol’」



本稿は続きます…おそらく。今しばらくお待ちください。


【付記】

アメリカに本社がある世界第2位の食品・飲料会社P。
Pの炭酸飲料のCMがテレビに映っていた。
CMは「桃太郎物語」をモチーフにした映画の予告編のような作りだった。
このCMで使われていた曲が
The Heavy 「Same Ol’」

テレビを観ていたマルが振り返ってボクに言った。
「カッコいいね、この曲」
「うん。カッコいい」
「気分がアガるねこれ」
「うん。かなりアガる」
「クライム・ムービーとかに使いたい曲だね」
「うんうん」
「この曲をイメージして何か書いちゃうか?」
「えっ……」
「キャラは桃太郎物語にして…クライム・ノベル風にして」
「えっ……」
「ほれ!」


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【註】彼は…香道の宗匠ではありません




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