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ボブのこと


午前7時、ボブはホテルを抜け出し朝食を求めてマーケット広場へ歩いた。

バルト海の乙女と呼ばれるヘルシンキ湾。

海を見渡す石畳の広場にはオレンジ色のテントのカフェがあった。


***


ボブは東京出張からロンドンへ帰る途中ここヘルシンキに立ち寄った。
理由は単純だ。東京のホテルの部屋で観た映画「かもめ食堂」が気に入ったからだ。


「それにしても昨夜はまいった」

昨夜遅く空港からヘルシンキ市内に入ったボブは夜道に足を取られ転んで怪我をした。
ズボンの膝に血が滲んでいたが歩くのには問題ない、骨は大丈夫のようだった。

荷物をホテルの部屋に放り投げ酒を飲みに外へ出た。

軽く飲んで食べ店を出るとタクシーをひろった。
タクシーに乗り込むと中年男の運転手が話しかけてきた。

「ヘルシンキはどうだい?」

「どうもこうもないぜ。
 どうしてヘルシンキの夜道はこんなに暗いんだ。
 おかげで転んで足を擦りむいちまった。
 バーに入れば…なんだあの値段は!
 そりゃあ物価が高いとは聞いてたさ。
 それにしたってなんだ。
 ビール2本にサンドイッチで…
 どうしてあんな値段になるんだ……」

「それだけか?」

「…ん?」

「アンタの不幸な話はそれだけか?」

「まあ…そうだな」

「今度はオレの話を聞いてくれるか?」

「あ…ああ。聞こうか」

運転手の身に起きた不幸の話は約10分間続いた。
その話を聞いて運転手があまりにも不憫になった。
ボブの酔いはいっきに醒めた。
足の痛みも忘れていた。

提示された料金よりかなり多目のユーロを運転手に渡した。
ボブはこう言うほど運転手に同情していた。

「you are good man. everything will be all right. take care !」


ボブはタクシーから降りて呟いた。

「NAMAHAGE」

日本への出張は初めてだったが元々日本文化に関心があった。
但し日本文化の知識は少々中途半端でちょっと変質していた。

「不幸なヤツはいねぇがー!
 ついてないヤツはいねぇがー!」

なまはげが彼の不幸を取り去ってくれればいいのに。


ホテルの部屋に戻り、歯を磨きながら思わず声が出た。

「あっ!」

ボブは思った。
さっきの運転手の不幸話は本当だったのか?
アイツの話に気を取られて料金メーターもみてなかったじゃないか。


* **


4月といっても外出には手袋が必要なほど寒いヘルシンキ。
しかも今朝は小雨まじりの曇り空だ。
石畳の広場から見える青い海も霧にけむって遠くまではみえない。
広場には餌を目当てに集まったカモメがたくさんいた。

石畳の広場にたつオレンジ色のテントはカフェだった。
外から内側を覗くと朝早くから数人の客がコーヒーを楽しんでいた。
この寒さだ。屋外の席には殆ど客がいなかった。

ボブはテント・カフェ内に入った。
テント生地を透かして入り込んだ朝陽がカフェをオレンジ色に染めていた。
人々も木製のテーブルもコーヒーカップも…空気も音もオレンジ色に染まっていた。

香ばしく焼け上がったパンにはサーモンがぎっしり入っていて美味い。
コーヒーもなかなかの味わいだ。しかも2杯目は無料らしい。
テーブルの上では雀が遊んでいた。

パンを食べ終わったボブは背中のバックパックからノートを取り出し机においた。
2杯目のコーヒーを飲みながらノートをみた。
3日前、新宿の酒場でおしえてもらった日本語が書かれたノートだ。


* **


予備情報もなくふらりと入った新宿ゴールデン街の酒場「G」。
カウンターに座り1人飲んでいたボブは、
隣に居合わせた60代の男と意気投合した。
ボブは仕事で東京に来たグラフィックデザイナーだと自己紹介した。
隣の男は仏教の僧侶で俳人だと言った。
経を読み、俳句を詠むなら日本語のエキスパートに間違いないと踏んで、ボブは男に相談した。

「日本語は難しい。日常会話程度なら自信があったがとんでもない。
 たとえば…Yesと言う時にもいくつもの言い方がある。
 はい、了解した、それと…今日会った人にはこう言われたんだ。
 無論」

「ある種の職業の人間はこうも言うぞ。
 喜んで」

「なるほど。昼に入った回転寿司屋の店員がオーダーを受けるたび 
 に大声で言っていたよ。
 喜んで!
 僕はてっきり売上があがって喜んでるのかと思った」


ボブは以前からクールな漢字のタトゥーを腕に彫りたいと思っていた。
ボブはノートを取り出した。
英単語を書いて男に渡し、その横に同じ意味の日本語を漢字で書いてもらった。


* **


2杯目のコーヒーを飲みながらボブはノートをみた。
ロンドンに戻ったら腕に彫るタトゥーの漢字をどれにしようか思案した。


Hot:唐辛子

Love:床上手

Rock & Roll:転石

Happy:満腹

Power:愛

Trip:風


酒場の男は漢字を書きながら含み笑いを隠そうとしていたようにみえた。
まるで悪戯を隠そうとしている子供のように。

この漢字を信用していいのか?
昨夜のタクシー運転手の話は本当だったのか?
新宿の男は紳士的に漢字を書いてくれたのか?

ボブはコーヒーを飲み干すと海に目をやった。
小雨まじりの曇り空の下で波がゆっくり移動していた。

ふー。

旅で出会った友人を信用しないでどうする。
ボブはノートに書かれた1つの言葉を人差し指の先でトントンと叩き
これにしようと決めた。


『 Peace:笑顔 』


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