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いそいそ

ある日。
うずまき堂さんの「facebook」投稿をみた。


blogいそいそ.jpg
http://uzumakido.com/?p=996


リンクが貼られた「うずまき堂マガジン」をみると
手書き文字でこう書かれていた。

『ところで。
いそいそするの「いそ」って
なんだろ…?』


***

ほどなく。ボクの高校の先輩がコメント欄に投稿。
「いそいそは嬉嬉(当て字)と書くみたいですが、古語辞典には「急ぎ」のイソと同根とありました。
気がはやるという意味でしょうか…」

さらにほどなく。うずまき堂さんからコメント返し。
「嬉嬉の当て字、いい風味ですね。俳号にしたいような(パンダの名前みたい^^;)」

***

何かコメント投稿せねば。
しかしだ。
先輩のような国文学的素養はないボクが…がどうする?

ボクのMBAを覗きこんだマルが言いった。
「オマエが書けるのは虚構だけだろ…」


***


翌日のことだ。
落語の枕を振る噺家の口調を模して書いた文を投稿した。


「磯(いそ)の鮑の片思い」というのが万葉集にありますな。
ここから転じて。
御婦人が殿方にほのかな恋心を伝えるときにもじもじして
こう言ったんですな。
「いそいそする」

これがさらに転じて。
現代では恋愛そのものを意味するようになって。
恋人同士の男女…男が女にこう声をかけたりしますな。
「いそいそする?」


ここでケーシー高峰師匠が登場。
「”いそいそする”っていうのはね、江戸時代の廓で男女が×××・・・」
「こらッ師匠!ネタがアブナいからここに出てきちゃだめだって!」


***


翌々日のこと。
コメント欄では「いそいそ学会」上級研究員たちの発表の応酬が展開されていた。
ボクは思いつきを投稿した。


isoは「同じ」、「等しい」の意の接頭語ですね。
Ex.) isobar:等圧線  
isotonic:等張の、等浸透圧の

そこで。
「いそいそ(iso-iso)」とは。
日常の何気ない様を…毎日同じく等しく過ごす日常を愛おしむ心の意です。

誰にも等しく降り注ぐ陽射しを、何処にも等しく吹き渡る風を
毎年同じように等しく過不足なく移り変わる季節を
毎年同じように等しく過不足なく愛する心の有り様が
「いそいそ(iso-iso)」です。

ここで件の師匠が再び登場。
「わたしはね、御婦人ならね、誰でも愛せます。
わたしはね…妙齢も年増も大年増だって
いそいそ愛せます。同じく等しく過不足なくね…」
「おい誰か!この師匠を引っ込めろ。楽屋に入れて鍵かけろ!」


***


3日めのこと。
「いそいそ学会」はまだ続いていた。
ボクは無茶な新説を投稿した。


「50/50(フィフティ・フィフティ)」
「分け前は?」「フィフティ・フィフティだ」
「この勝負のゆくえは?」「五分五分だな」

「五十(いそ)五十(いそ)」
「いそいそ」とは2つの事象が等しい状態
2つの事象の程度が同じで優劣に差がないこと。

男が女に囁いた。「オレたちいそいそだな」(相思相愛の意)

学食でハンバーグカレーかエビフライカレーか、いそいそ迷う。

サッカー場でのこと。
試合直前なのにコーチはシステムをどうするか迷っていた。
「4-3-3でいく?4-2-2-2がいいか?」
選手が怒鳴った。
「いそいそしてんじゃねーよ!」


浅草の居酒屋で飲んでる師匠に同席の若手が聞いた。
「前からたけしさんに聞きたかったんですけどお。
ツービートのギャラ配分はどうなってんですか?
きよしさんと…まさか折半じゃないですよね?」
「うーんとね…ギャラの半分はオイラが貰ってね…
残り半分はオイラが遊んで使うんだよ」
「・・・・・」


【註】本文中に実在の人物名が登場しますが、実在の人物の発言では勿論ありません。


ボクを「いそいそ」させるヤツ

DSCF0139 のコピー.jpg



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